大判例

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名古屋高等裁判所 昭和51年(ネ)81号 判決 1978年9月27日

亡早川清一承継人控訴人

早川宗助

外六名

右七名訴訟代理人

松島泰

外一名

被控訴人

岩田清

右訴訟代理人

楠田仙次

被控訴人

冨永しま子

外一六名

右一七名訴訟代理人

祖父江英之

主文

一  原判決中被控訴人森瀬豊三郎、同九沢幸平、同岩田秀一に関する部分を次のとおり変更する。

(一)  被控訴人森瀬豊三郎は控訴人らに対し、原判決の別紙目録記載五の建物のうち(1)の部分を明渡し、昭和五二年一月二七日から右明渡済に至るまで控訴人早川寿満子に対し一か月金一四三円その余の控訴人らに対し各一か月金四七円の割合による金員を支払え。

(二)  被控訴人九沢幸平は控訴人らに対し、右目録記載五の建物のうち(2)の部分を明渡し、昭和五二年一一月二八日から右明渡済に至るまで控訴人早川寿満子に対し一か月金一四三円その余の控訴人らに対し各一か月金四七円の割合による金員を支払え。

(三)  被控訴人岩田秀一は控訴人らに対し右目録記載三の建物のうち(1)の部分を明渡し、昭和五二年四月六日以降右明渡済に至るまで控訴人早川寿満子に対し一か月金四〇三円その余の控訴人らに対し各一か月金一三四円の割合による金員を支払え。

(四)  被控訴人森瀬豊三郎、同九沢幸平、同岩田秀一に対するその余の請求を棄却する。

二  控訴人らのその余の被控訴人らに対する控訴をいずれも棄却する。

三  訴訟費用中控訴人らと被控訴人森瀬豊三郎、同九沢幸平、同岩田秀一間で生じた分は、第一、二審共右各被控訴人らの負担とし、その余の被控訴人らとの間で生じた控訴費用は控訴人らの負担とする。

四  この判決は第一項(一)(二)(三)にかぎり、仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

第一被控訴人早川正憲、同高橋平雄を除くその余の被控訴人らに対する請求について

一本件各建物は亡清一の所有であつたところ、昭和五三年一月三一日亡清一は死亡し、控訴人早川寿満子はその妻としてその余の控訴人らは嫡出子として右七名において亡清一の権利義務一切を相続したこと、被控訴人富永しま子、同岩田清、同福田忠雄、同上野和男、同竹内秀男、同田中一雄、同岩田秀一、同近藤義光、同加藤繁雄、同加藤国三郎、同水川正行、同早川みつえ、同南谷銀次郎、同九沢幸平、同森瀬豊三郎及び亡秀雄が本件各建物のうち控訴人ら主張の各建物部分を亡清一から賃借していたところ、亡秀雄は昭和四八年四月二三日死亡し、その妻である被控訴人加藤久子においてその権利義務を相続したこと以上の事実は当事者間に争いがない。

二しかるところ控訴人らは亡清一において右各賃貸借契約を合意解約したと主張するのでまずこの点について判断する。<中略>

三次に控訴人らは本件各建物が朽廃したから、本件各賃貸借は終了した旨を主張するのでこの点の判断をする。

<証拠>によると次の事実が認められる。

本件各建物は、いずれも明治三二年頃に古材で建築したと思われる木造瓦葺の平家建または二階建の長家形式の建物であるが、本件二ないし四の建物はさらに棟続きになつている。そして原判決の別紙図面に番号6、7、10、12、13、14、15(赤斜線部分を含む)をもつて表示した歩道に面した部分は商店として現在利用されておるものである。そしてその損傷度をみるに昭和四八年当時は次のようであつた。即ち右歩道に面した部分は梁を支えるために直径七センチメートル前後の鉄柱で補強されており、また右図面に番号4、5、6、14をもつて表示した部分は屋根に雨漏りを防止するための防水シートが張られ、右図面に番号17をもつて表示した部分は瓦葺でなくトタン張りになつていた。特に同図面に番号11をもつて表示した部分は空屋のまゝ一〇年以上も使用されなかつたためもあつて損傷がはげしく、屋根は抜けこれがため雨水等により、梁、柱、床等の腐触が著しかつた。そして本件各建物はそれぞれ全体として基礎が玉石で低いため、接地部分が腐触している所があり、柱も根元部分が腐朽しているところがある他、小屋組、屋根は雨もりで腐朽している所や瓦が割れ波打ちしている部分もあり、壁についても老朽化して剥離しているところがあり全体として傾斜していた。

以上のような状況であるため、当時においても本件各建物は修理するとしても新築に近い大改造を要し、しかも同種の建物を新築するのと同じような費用がかゝり経済的には修理するより新築する方が有利であつた。しかし、昭和五二年五月の当審検証時に至つても、原判決別紙図面に番号5をもつて表示した部分の屋根はトタン張りとなり、16をもつて表示した部分の屋根は防水布で覆われているほかは昭和四八年当時と本件各建物は空家になつていた部分以外は顕著な変化はなく著しい柱の傾きは認められず、長押・梁・柱なども褪色し角がなくなる位になつているが、著しい朽廃はなく、東側車道に面した商店として使用されている部分も鉄柱をもつて梁は支えられており、ただ空家部分において屋根が抜け落ちて日光が射し込み、柱は倒れかゝり、梁はくずれ落ちて雨水が入り、湿気も多くすべて腐食し、朽廃が著しい状況であつた。

以上のとおり認められ、この認定事実からすれば、本件各建物は昭和四八年当時かなり腐朽し、昭和五二年に至つてはさらに腐朽度は進行しているというべきであるが、空家になつている部分以外は自力で建つておつて人の出入りに支障はなく特別の補修をしなくとも直ちに倒壊の危険があるわけではなく、また倒壊の時期がさし迫つているとみることもできない。<中略>

しかして、<証拠>を総合すれば、被控訴人森瀬豊三郎、同九沢幸平は昭和五二年に至つて退去するまで居住して使用し、その余の被控訴人らは現在においても居住し、一部は営業用にも供されておることが認められ、昭和五二年の前記当審検証時以降において本件建物に顕著な変化のあつたことを認めるべき資料はないから、被控訴人の各賃借建物部分はなお社会的・経済的効用を失うに至らないものとみるのが相当であり、したがつて、朽廃により賃貸借が終了したとの控訴人らの主張は採用できない。

四次に控訴人らは前記各賃貸借は使用貸借に転化したと主張しこれを前提として、右使用貸借契約解約により被控訴人らは当該借受け建物部分を返還すべき義務があるという。よつて、この点の判断をする。<中略>

五次に控訴人らの解約申入による賃貸借終了の主張について検討する。

亡清一が被控訴人富永しま子、同福田忠雄、同田中一雄、同近藤義光、同加藤繁雄、同加藤国三郎、同水川正行、同早川みつえ、同南谷銀次郎、同森瀬豊三郎、同九沢幸平に対して昭和四七年二月二九日に、同岩田清、同上野和男に対し同年四月一七日に、同竹内秀男、亡加藤秀雄に対して同年九月四日にそれぞれ本件賃貸借契約の解約申入れをしていることは当事者間に争いがない。

しかるところ、控訴人らは本件各建物が朽廃により賃貸借終了したといえないとしても、朽廃の程度が著しいから右賃貸借解約申入れは正当事由を具備するものであるという。

よつて、思うに賃貸建物の朽廃度が賃貸借契約の存続を許さない程度にまでは至らないが近い将来において、大修繕を必要とし、その場合における修繕の費用が改築と同じような金額を要するものである場合には当事者双方の事情を考慮し、解約申入の正当事由を具備するものとなし得る場合があるものと解するのが相当である。しかし控訴人ら主張のごとく建物が未だ社会的・経済的効用を失うに至つていないのに賃借人側の事情も勘案することなく、賃貸建物が前記のように朽廃が進んでいるというだけで正当事由を具備するものと解すべきではないと考える。

よつて、この見地に立脚して本件をみるに、<証拠>によると次の事実が認められる。

(1)  被控新人加藤久子は亡秀雄の妻であるが、亡秀雄が昭和二〇年頃、本件二の建物のうち(1)の部分に賃借入居した当時より同居して、亡秀雄の死亡後も引続き右賃借部分に居住して、収益は僅かであるが履物商を営み、国民年金とで生計を賄い今日に至つている。

(2)  被控訴人早川みつえは昭和一三年頃本件四の建物のうち(1)の部分を亡夫とともに賃借入居し、亡夫の死亡後も引続き居住し、長男の被控訴人早川正憲の妻子らと同居してうどん屋を営み、右建物部分のうち一階北角の部分を被控訴人高橋平雄に昭和二三年頃転貸し、被控訴人高橋平雄は同所で印判屋を営んで今日に至つている。

(3)  被控訴人加藤国三郎は亡清一が本件各建物を取得する以前から本件三の建物のうち(4)の部分を賃借入居し、長男夫婦らと同居し金網商を営み今日に至つている。

(4)  被控訴人水川正行は大正の始頃から本件三の建物のうち(5)の部分に賃借入居し防水布販売業を営み、昭和四八年中風で入院後は妻錦子が営業を継承し今日に至つている。

(5)  被控訴人加藤繁雄は本件三の建物のうち(3)の部分に居住して靴の製造販売を、被控訴人近藤義光は本件三の建物のうち(2)の部分に居住して煙草、雑貨の販売を営んでいるのであるが、いずれも亡清一が本件各建物を取得する以前から賃借居住して今日に及んでいる。

(6)  被控訴人竹内秀雄は妻の父が昭和一九年頃賃借していた本件二の建物のうち(1)の部分に昭和三五年頃入居したのであるが、妻タマエは息子夫婦の子の面倒をみるため、同被控訴人自身も停年退職し息子の取得する手当の関係で昭和四九年中一時息子夫婦方に同居したが、後再び同被控訴人自身再就職し、妻もパートの勤めをして右賃借部分に居住して今日に至つている。

(7)  被控訴人南谷銀次郎は亡清一が本件各建物を取得する以前から目録四の建物のうち(2)の部分を賃借して居住し、同所で骨とう屋を営み現在に至つている。

(8)  被控訴人岩田秀一は目録三の建物のうち(1)の部分を、被控訴人九沢幸平は本件五の建物のうち(2)の部分を、被控訴人森瀬豊三郎は本件五の建物のうち(1)の部分をいずれも亡清一の本件各建物取得時以前から賃借していたが、被控訴人九沢幸平は昭和五一年五月二七日に、被控訴人森瀬豊三郎は遅くとも昭和五一年七月二六日までに転出し、被控訴人岩田もかなり以前から倉庫として使用していただけで昭和四二年八月二日当時は名古屋市西区上畠町に住民登録をしており、遅くとも昭和五一年一〇月五日には太陽堂という屋号で他に店舗を有している。

(9)  被控訴人富永しま子は本件1の建物のうち(1)の部分を、被控訴人岩田清は本件1の建物のうち(2)の部分を、被控訴人福田忠雄は本件1の建物のうち(3)の部分を、被控訴人上野和男は本件1の建物のうち(4)の部分をいずれも亡清一が本件各建物を取得する以前から賃借居住し今日に及んでいる。

(10)  被控訴人田中一雄は本件2の建物のうち(2)の部分を亡清一が本件各建物を取得する以前から賃借居住し、同所において生花商を営んで今日に至つている。

以上のとおり認められ、右認定事実によれば、被控訴人早川正憲、同森瀬豊三郎、同九沢幸平、同岩田秀一、同高橋平雄を除く被控訴人らは永年にわたつて賃借部分に居住し(その一部は営業の店舗としても使用し)これを生活の根拠としてきておつたのであるから、賃借建物部分を退去明渡すことは右生活の根拠を奪われることとなり、他に居住のみの家屋を求めるとしても経済的負担を強いられ、営業を営んでおるものにとつては新たな顧客を獲得しなければならない不利益を課せられることとなり、これらの事情をも勘案すれば、本件各建物が老朽化し、高額の賃料を得るためには控訴人らにおいて出費を免れないという不利益は残るにしても、控訴人らにおいて他に本件各建物を取毀の必要の認められない本件では前記解約申入れには正当事由を具備しないものといわざるを得ない。

しかしながら、被控訴人森瀬豊三郎、同九沢幸平、同岩田秀一については、前認定の事実によれば、右と同様の理由により本件解約申入時においては正当事由を具備するものではなかつたというべきであるが、遅くとも被控訴人岩田秀一は昭和五一年一〇月五日、被控訴人森瀬豊三郎は同年七月二六日、被控訴人九沢幸平は同年五月二七日にはいずれも各賃借部分を使用する必要性は失われたとみざるを得ないのでそれぞれ当該の日には正当事由を具備するに至つたものというべく、それぞれそれより六か月の経過をもつて各賃貸借は終了し賃借物を返還する義務を負うに至つたというべきである。<以下、省略>

(綿引末男 三浦伊佐雄 高橋爽一郎)

別紙図面<省略>

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